28

5月

2010

も~い~くつ寝ると~

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28

4月

2010

カリスマ~CHARISMA~VOL 3

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19

4月

2010

カリスマ~CHARISMA~VOL 2

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15

4月

2010

カリスマ~CHARISMA~vol 1

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12

4月

2010

~内なる欲求から外なる欲求へ~プロテスタンティズム

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08

4月

2010

バランス感覚

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05

4月

2010

三大美女

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31

3月

2010

~満月~ FULL MOON

今日が3月最終日。。。

 

 

 

 

 

今月もみなさんお疲れ様でした。。。

 

 

 

 

 

たまには空を見上げてください。。。

 

 

 

 

 

きれいなお月さまが出ていますよ。。。

 

 

 

 

 

注意が必要なのは、交通事故・性犯罪・暴飲暴食・・・

 

 

 

 

 

 

そして、相場の転換になりやすいです。。。(ココロが動きやすい)

 

 

 

 

 

明日はいよいよ新年度スタートです。。。張り切っていきましょう!!!

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29

3月

2010

法則

セレンディピティー【serendipity】

 

求めずして思わぬ発見をする能力。思いがけないものの発見。運よく発見したもの。

 

歴史上の発見が偶然の産物だった。。。この偶然を発明・発見に結び付けるには、多くの経験と広い知識を前提に、目の前の奇妙な事実・現象を認識する素直な心が必要です。常識というベールで覆ってしまわない探求心です。夢を追い、そして待ち受ける心を秘めたセレンディピティーのある者にのみ、偶然とその宝物が訪れます。
セレンディピティーを持つ人を、天才として表すことができない。

 

ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman, 1934年 テル・アヴィヴ )

 

経済学と認知科学を統合した行動ファイナンス及びプロスペクト理論で有名なイスラエル・アメリカ合衆国(ユダヤ人)の心理学者、行動経済学者。 2002年にノーベル経済学賞を受賞。2003年現在、プリンストン大学教授。

 

「人は、利益の出る局面ではリスクを避け、損失局面ではリスクを取る」この心理が自然ならば、先送りは自然な人情ということになります。先送りを避けるのが難しい、思って当然なのです。

 

ハインリッヒの法則。。。「1:29:300」

 

「同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害のうち、300件は無傷で、29件は軽い障害を伴い、1件は重い障害を伴っている」さらに、「障害を伴うにせよ伴わないにせよ、すべての災害の下には、おそらく数千に達すると思われるだけの不安全行動と不安全状態が存在する。」

 

パレートの法則 。。。ヴィルフレド・パレート(Vilfredo Federico Damaso Pareto)

 

イタリアの経済学者・社会学者、欧州各国や米国の統計データに基づいて統計的に所得配分の研究を行い、1896年にローザンヌ大学の論文集に成果を発表した。ここで彼は、経済・社会体制が異なる国々でも、また異なる時期においても、所得金額xとx以上の所得のある人の数Rxの間に「Rx=Ax-α」という定式が成り立つと指摘した。Aは正の常数、αがパレート係数(値が小さいほど富の配分が不平等であることを示す)である。

 

パレートの法則は、別名 2:8の法則とも言われ、経済において、全体の数値の大部分は全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという説。経済以外にも自然現象や社会現象等様々な事例に当て嵌められることが多い。

 

アイドマの法則

 

アイドマ(AIDMA)の法則とは、Attention(注意)→ Interest(関心)→ Desire(欲求)→ Memory(記憶)→ Action(行動)の頭文字を取ったもので、アメリカのローランド・ホールが提唱した「消費行動」のプロセスに関する仮説です。消費者があるモノを知り、それから買うという行動に至るまでのプロセスであり、コミュニケーションに対する反応プロセスでもあります。

 

人は生きる為に生きている。。。 
それは何の為か。。。 
愛のため。。。 
金のため。。。 
欲のため。。。 
私は思う。。。 
皆の記憶に残るため。。。 
そして。。。 
自分が自分らしく生きるため。。。
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25

3月

2010

レオナルド・ダ・ヴィンチ~Leonardo Da Vinci

レオナルド・ダ・ヴィンチ~Leonardo Da Vinci 1452~1519

 

イタリア・ルネッサンスを代表する偉人レオナルド・ダ・ヴィンチ。
本業は画家であるが、その業績は一言では表現できない「万能の天才」
である。

 

出身地はイタリアのヴィンチ村。レオナルド・ダ・ヴィンチとは
ヴィンチ村のレオナルドという意味である。

 

彼の残したノート「レスター手稿」には、おびただしい量の工学医学
天文学流体力学幾何学音楽などのアイディアが、芸術的な図と共に
記されている。
ノートに書かれた文字は鏡に写したように左右が反転しているのも
おもしろい。

 

菜食主義者であったとか同性愛者であったなどの説もあるが、
定かではない。
注意欠陥・多動性障害(ADHD)であったともいわれている。

 

1452年  4月15日の夜、公証人(弁護士兼会計士)セル・ピエーロ(Ser Piero) と カテリーナ(Catherine) の息子として誕生する。
ヴィンチ村とその郊外で幼少期を過ごす。
1464年  義母アラビエーラ死亡。  
1466年  父親に連れられてフィレンツェへ行き、ヴェロッキオの工房の徒弟となる。
1473年  ヴェロッキオの「キリストの洗礼」(ウフィッツィ美術館蔵)で天使の絵を描く。
1476年  「受胎告知」を描き始める。1479年完成。
1480年  「聖ヒエロニムス」を描く。
1481年  「東方三博士の礼拝」(ウフィッツィ美術館蔵。未完成。)
を頼まれる。  
1482年  ミラノのルドヴィーコ・イル・モーロ宮に移る。
1483年  「岩窟の聖母」(ルーブル美術館蔵)を描き始める。
1484年  「白貂を抱く女性」を描く。 (ボッティチェリが
「ヴィーナス誕生」を描く。)
1490年  サライが弟子になる。
1495年  ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会で
「最後の晩餐」を描く。
1496年  数学者のパッチョーリ(Luca Pacioli)と親しくなる。
1499年  フランス王ルイ12世の侵攻により、ルドヴィーコ・
イル・モーロが没落したため、ミラノを後にする。数ヶ月間マントヴァと
ヴェネツィアを旅した後、ふたたびフィレンツェに戻る。  
1502年  建築家であり、軍事技術者でもあるチェーザレ・ボルジアに
雇われる。法王軍の軍事総監督として、ボルジアやマキャベリと一緒に
ロマーニャ地方を旅する。
1503年  フィレンツェに戻り、ヴェッキオ宮殿の「五百人の大広間」
「アンギアリの戦い」を描き始める。
1504年  「モナリザ」(パリ ルーブル美術館蔵)を描き始める。
父セル・ピエーロが死亡。(ミケランジェロが「ダヴィデ像」を完成。)  
1506年~1508年  フィレンツェとミラノを行き来する。
1508年  フランスの王、ルイ12世に雇われて5年間ミラノの首都
ロンバルドに住む。
1509年  「聖アンナと聖母子」(ルーブル美術館蔵)を描く。
フランチェスコ・メルツィを養子にする。  
1513年  ミラノを離れ、フィレンツェを通り、ジュリアーノ・ディ・
メディチの後援の下でヴァチカンのベルヴェデーレ宮殿に三年間住む。
1516年  ジュリアーノ・ディ・メディチが死亡。  
1516年  メルツィを連れてローマからフランスへ。フランソワ1世の
後援の下で残りの人生を過ごすことになる。
1519年  5月2日アンボワーズ城の近くのクルーの館(Clos Luce)
で死亡。聖フロレンティン教会で葬られる。
食欲無くして食べることが健康に害あるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶
を損ない、記憶したことを保存しない。
「音楽」は「絵画」の姉妹という以外に呼びようがない。だが「絵画」は
「音楽」に勝りこれに君臨する。何故かならそれは、薄幸な「音楽」の
ように、生まれた直後に死にはしない、どころかむしろ存在し続けて、
実際単なる一片の平面にすぎないものに生命を吹き込んで君に見せる
のだから。 
水中に投げ込まれた石は数多くの波紋の中心となる。そして空気も同様に
波紋で満ちている。その中心は空中に作られた音及び声である。 
風は鳥の下に吹き込んでちょうどくさびのように、その上にある固体の
下に吹き込んだだけ、鳥を空の方へ持ち上げる。 

 

追記・・・レオナルドは読み書きが出来なかったと言われてる。精神障害・多重人格とも・・・モナリザ最後の晩餐受胎告知 には後世の私たちに
対するメッセージがあるとも言われている。
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23

3月

2010

日経平均が・・・

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19

3月

2010

ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)

ジークムント・フロイト ~~ Sigmund Freud

 

フロイトは夢の中に深層心理があると考え、夢を分析する事により、隠された心理を見つけようとした。夢の全てはセックスに関係していると考えた。



夢は未来を見るのではなく、無数の無意識の記憶が造形され、あなたの夢(あなたの意識に邪魔されないとき)に現れます。あらゆる事を記憶できるならば、夢に頼らなくても自分の未来の予想が出来るかも知れません。ただ、殆どの人がとるに足らないことまで事細かに記憶することは無いと思います。


セックスをする夢、セックスにつながる夢

 

夢の中では性器はシンボル化されて登場することが多い。長いもの、尖っているものは男性器を意味する。丸いもの、くぼんているものは女性器を意味する。直接的なセックスの夢でなくても、セックスを意味していることがある。大人になる程、間接的に、あるいはシンボル化されてくる。

 

夢の中でセックスを楽しんでいたら、新しい環境に難なくとけ込むことができます。他人のセックスは充足感と成功を示す。しかし不満や不快感を伴う場合は感情的な問題を抱えているかも知れません。

 

 [抱きしめる]  抱きしめられる夢は衝動を抑えろという警告。抱きしめる、あるいは抱き合う人を見ている夢は家庭内のいさかいを暗示。

 

 [売春婦] 売春婦の夢は、セックスの失敗を恐れている。売春婦に誘われる夢は、ご機嫌取りばかりしていることに対する警告。売春婦になる夢は元気が出るような知らせが届く。売春婦を訪ねる夢は、家庭のトラブルが発生する。

 

 [売春宿] 男女問わず、売春宿に行く夢は、家庭生活が格段に向上する。

 

 [ハーレム] ハーレムにいる夢や美女に囲まれている夢(男性の場合。女性では美男に囲まれる夢)は、異性の付き合いが忙しくなる。トラブルに気を付けて。

 

  [レイプ]  レイプの夢を見たら、軽率な行動があなたの評判を落とします。慎重に考えないと、他の人にも迷惑をかけることになります。

 

 [インポテンツ] 逆夢。性生活は問題なし。その他の問題網無くいく。

 

 [処女] 処女は幸せのシンボル。ただし死んでいたら、仕事で厄介なことが持ち上がるかもしれない。処女とつき合い始める夢は、全てに幸運を運ぶ。自分が処女になっていたら、あることで、無防備になっている。

 

 [キス] キスする夢は、新しい恋愛の始まり。自分のパートナーにキスされる夢は、その関係が本物である証。死者へのキスは、末永い幸せな生活を意味する。赤ちゃんへのキスは、難しい問題が解決される前兆。キスをいやがる夢は、体調が下降線。
みなさん今週もお疲れ様でした。。。明日から三連休ですね~ 
いい夢が見れますように~~~
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18

3月

2010

仏舎利塔

今朝、天気予報を見ていたら子供のころ小学校に行く途中に見ていた仏舎利塔を発見。。。 あの頃が懐かしくなったが、仏舎利塔って何?という疑問が・・・

 

 

 

 

 

仏舎利塔(ぶっしゃりとう)とは、仏舎利釈迦牟尼の遺骨)を納めるとされる仏塔。一般に仏塔の原型であるインドの「ストゥーパ」[1]の様式をそのまま模して建てられた仏教建築物である。

ドーム状の構造物の上に相輪をもつ。日本では近代になって建てられたものも多い。また本来の舎利を祀るだけでなく、太平洋戦争でなくなった英霊を祀る仏舎利塔もある。

 

 

 

 

 

中国では「仏舎利塔」のことを「覆鉢式塔」と呼ぶ。チベット仏教の仏塔である。覆鉢式塔のつくりはストゥーパのつくりと基本的に同じで、南北朝時代雲岡石窟の中にすでに覆鉢式塔の造形が見られた。早い時期にチベットに伝わり、チベットから各地に広まった。

ストゥーパは、やがて中国宝塔として形を変えていくが、の時代に入るとチベット仏教が盛んになり、再び、インドのストゥーパが中国に入ってきた。そして、漢民族の住む地区にも建てられるようになった。

覆鉢式塔は崇拝のために使われる。中には舎利が収められ、また、高僧の墓としても使われる。覆鉢式塔の中は空洞になっていない。大きさは大小まちまちである。中国に現存するもっとも大きい覆鉢式塔はの時代に立てられた北京妙慶寺(白塔寺)の白塔である。これ以外にも北海公園永安寺白塔などがある。

 

 

 

 

 

日本の仏舎利塔は、飛鳥時代法興寺法隆寺四天王寺のように、古くは木造の五重塔三重塔として建造される例が多かったが、近代になると戦後の平和を願うなどの目的で熊本市花岡山北海道釧路市の日本山妙法寺、静岡県御殿場市平和公園富山県高岡市鉢伏山などに仏舎利塔が建造された。日本の仏舎利塔には殆ど仏舎利は納められておらず、代わりに経典や宝石が納められているのが普通であるが、仏舎利を納めたとされるものも決して稀ではない。

 

 

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17

3月

2010

ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe (2)

「我々が自分の欲するままに振る舞っていると思っても、
 結局のところ我々もみな集合体なのだ。
 我々が最も純粋な意味でこれこそ自分たちのものだと言えるようなものは、実にわずかなものではないか。
 我々はみな、我々以前に存在していた人たち、および我々と共に存在している人たちからも受け入れ、学ぶべきなのだ。」


「光というものがあり、色彩が我々を取り巻いているが、
 我々が自分自身の眼中に光と色彩を所有しているのでなければ、
 外界にある光と色彩も、認める事はないだろう。」


「光は、決して様々の色彩が合成したものではない。
 また、光はそれだけでどんな色彩も出現させることはできない、
 むしろそのためには、常に光と影の一種の変化と混和が必要なのだ。」


「それにしても、いったい祖国を愛するという事は、どういうことなのだろうか。
 祖国のために働くという事は?
 ある詩人が一生涯、有害な偏見と闘い、偏狭な見解を打ち破り、国民の知性を啓発して、その趣味を浄め、志操と考え方を高めるために努力したとしたら、いったいそれ以上に何をしたらよいというのだろうか。
 それ以上に、どうやって国のために働けばよいというのだろうか?」


「自分自身の内心を支配することのできぬものに限って、
 とにかく隣人の意志を支配したがるものだ。」


「われわれは結局何を目ざすべきか。
 世の中を知り、それを軽蔑しないことだ。」


「喜んで行い、そして行ったことを喜べる人は幸福である。」


「詩作を理解せんと欲するものは詩の国に行かざるべからず。
 詩人を理解せんと欲するものは詩人の国に行かざるべからず。」
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16

3月

2010

ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe (1)

さまざまなモノを未来に望んでいる眼には、小さな事々は じきに映らなくなってしまう。
 

 

無益な人生は、早く死んだも同じです。

 

 

 

自分自身の道を歩いて迷っている人のほうが、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも、私には好ましい。

 

 

 

全ての階級を通じて、一段と気高い人は誰か。どんなことを前にひかえても常に心の平衡を失わぬ人。
 

 

自己が自己であるために、支配することも服従することもいらぬ人間が、偉大な幸福な人間である。
 

 

焦りは焦りによって十倍も罰せられる。焦って目標を引き寄せようとすれば、それを遠ざけるだけだ。 



君はどこまで彷徨い歩く気か、見よ、善いものはすぐ近くにある。



幸福をつかむことを覚えるがよい、幸福は常にそこにある。


誠実な君よ、何を信じたら教えてあげよう。性を信じよ、性の教えは雄弁家や書物よりもはるかによい。

 

 

 

喜びには悩みが、悩みには喜びがつきものだ。



苦しみが残していったものを味わえ!苦難もやがて過ぎてしまえば、甘い。 


自己を集中し、早く正道に立ち返ることを求めなさい。 


暑さ寒さに苦しんだ者でなければ、人間の値打ちなんてわかりはしない。 


何でも初めは難しい、という諺、これはある意味では真理かもしれないが、しかし最後の段階に登ることこそ もっとも困難で、それに至るものは稀だ。 


小事に喜びを感じる人を見たら、思え、その人はすでに大事を成し遂しとげているのだ。


世には、何一つまともに企てないがゆえに過つことも全然無い人間がいる。 


自分たちの置かれているいかなる境遇にも善処しえられず、また、いかなる境遇にも満足しえない謎の人物どもがいる。こうしたことから、楽しみもせずにあたら人生を消耗する恐るべき抗争が生じてくるのである。 


男なんてとか女なんてとか、一般化した名詞で考えるのはおやめなさい。
みな違うことを言っているなどと、矛盾した存在にみえてくる。
目の前にあるただ一人の人を信じなさい。
その人の言葉だけを信じれば、たちまち矛盾は解決するだろう。


おまえの努力は愛の中にあれ、お前の生活はその行いであれ。


半時間ぐらいでは何もできないと考えているより、世の中の一番
つまらぬことでもする方が優っている。 

 

あまりに多くを要求し、複雑錯綜したものに喜びを感じる人間は、
常に昏迷の危険にさらされる。


光と精神。前者は物理的なもののうちに、後者は倫理的なもののうちに力をふるっているが、考えることはできても劣化することはない最高のエネルギー。


行為または忍耐によって改善しえられないような境遇は一つもない。


こうして今は心安らかに世間を旅していける。入り用なものはどこだって、手に入れることができる。持ち歩くものはだた一つ、かけがえの無いもの、愛。


くり返し二度三度よんで飽きないものは何か。恋人のくれた心のこもった手紙。


人間らしく幸福にするために愛は気高い二人を寄り添わせます。


身分の高下などまったくどうでもよい。常に人間性の洗礼を受けることだ。私は人間だった。それは戦う人だということを意味している。


人間というものは、決して自分自身を知ることができず、決して自分自身を純粋に客観的に観察することができないものだ。他人は私自身が自分を知るよりももっとよく私を知っている。


人間は、なんと知ることの早く、行うことの遅い生き物だろう。


真実がすごく簡単なのに腹を立てる人がいる。しかし、真実を実際に役立てるにはずいぶん骨がおれることを、彼らは考えるべきである。


人間はすべて自然のうちになり、自然はまたすべてのうちにある。自然の極致は愛である。愛によってのみ、人は自然に近づくことができる。


我々が不運か または、自分の過失かによっておちいる魂の悩み、それを癒すことは、知性には全くできないし、理性にもほとんどできない。時間がかなり癒してくれるが、断固たつ活動こそはそれを癒す十全の力をもっている。


眠りは殻だ、脱ぎ捨てよ!世に人はみな臆し躊躇おうとも、雄々しく立ちこなせ。心得てすばやく手をつける、優れた人の成しえぬことのあろうことか。



一つ所に執着するな。元気に立って、さあ行こう!頭と腕に快活な力があれば、どこに行っても家にいるようなもの。太陽を楽しめば、どんな心配もなくなる。めいめい勇んで出かけよう。世界はこんなに広い。

 

人は常に迷っている。迷っているあいだは常に何か求めている。


何事につけても、希望するのは絶望するよりよい。可能なものの限界をはかることは、誰にもできないのだから。


昨日が曇りなく公明であったら、今日は力強く自由に働ける。明日にも希望がもてる。明日も同様に幸福であれと。


人間は現在を尊び生かすことを知らないから、過去に焦がれたり、未来に媚びをおくったりする。


何かを探そうとするなら、遠くを探すな。


実り多いものだけが真実である。


出来上がったものが硬化しないように、作り変えるために、永遠の生きた活動が働いている。それは活動し、創造的に行動し、先ず形をなし、ついで形を変える。瞬間 とどまることはあってもそれは外見だけである。永遠なものは一切のもののうちに活動し続ける。万物は存在に執着するならば、崩壊して無に帰すほかないのだから。


安らかに寝ることを欲するのか。私は内的な戦いを愛する。なぜなら、もし疑うことがなかったら、確実なことを知る喜びがどこにあろう?。


才能は静けさの中で作られ、性格は世の激流の中で作られる。


人間は気高くあれ、情け深く優しくあれ!そのことだけが、われらの知っている一切のものと人間とを区別する。



人は最初から人に生まれたのではない。人になっていくのである。



性急にやらねばならぬこともたくさんありますが、節度を保ち、不自由を忍ばねば、手に入れることのできぬものもあります。それは、「徳」です。「徳」とは、縁続きの「愛」も同様です。



我々はどこから生まれてきたか~ 愛から。 
我々はいかにして滅ぶか~ 愛無きため。 
我々は何によって自己に打ち克つか~ 愛によって。 
我々も愛を見出し得るか~ 愛によって。 
長い間泣かずに済むのは何によるか~ 愛による。 
我々を絶えず結びつけるのは何か~ 愛である。



結婚生活は一切の文化の初めであり、頂上である。それは、乱暴者を穏やかにする。また高い教養のあるもにとっては、その温情を証明する最上の機会である。結婚生活は解消し得ないものでなければならない。結婚生活は多くの幸福をもたらすもので、それに対しては、個々の不幸なんか、一切ものの数ではない。 


もはや愛しもせねば、迷いもせぬ者は埋葬してもらうがいい。



気持ちよい生活を送ろうと思ったら、済んだことをくよくよせぬこと、めったなことに腹をたてぬこと、いつも現在を楽しむこと、とりわけ、人を憎まぬこと、未来を運命にまかせること。 



焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。前者は過ちを増し、後者は新しい後悔を作る。 


ここで今これ以上骨をおっても無駄だ!バラならば、花さくだろう。 


全てをすぐに探ろうとするものがあろうか! 雪が溶ければ、ひとりでに見つかるだろう。 


思索なんかする奴は枯野原で悪霊にぐるぐる轢き回されている動物みたいなものです。その外周りには美しい緑の牧場があるのに。


経験したことは理解したことだと思い込んでいる人がたくさんいる。


気分がどうのこうの言って、なんになりますか。ぐずぐずしている人間に気分なんかわきはしません。今日できないなら、明日もだめです。一日だって無駄に過ごしてはいけません。


財貨を失ったことは僅かを失ったことだ。気を取り直して新しく手に入れなければならない。信頼を失ったことは多くを失ったことだ。再び得るには多くの努力が必要だろう。勇気を失ったことはすべてを失ったことだ。もはや埋葬されるしかないだろう 。

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12

3月

2010

ミス ユニバース 日本代表

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09

3月

2010

夢を売る商売

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05

3月

2010

たまには・・・

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04

3月

2010

もう少しで、幸せになれそうな字

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03

3月

2010

南総里見八犬伝

『南総里見八犬伝』は、江戸時代の文豪曲亭馬琴が28年

もの年月をかけて著した長編小説です。戦国時代に安房の

を活躍の拠点にした房総里見氏の歴史を題材にしています

が、けっして歴史事実にはこだわらず、そのすべてが新たに

創作されたものです。1814年(文化11年)に最初の

5冊を出版してから、全106冊を出し終えたのは

1842年 (天保13年)のことでした。
 この物語の主題は、「勧善懲悪(かんぜんちょうあく)・

因果応報(いんがおうほう)」にあります。悲劇の最期を遂げ

た里見氏をはじめ安房地方の善良なる人々などをとりあげて、

馬琴の意のままに大活躍させる爽快な小説になっています。
 物語は、結城の戦いに敗れた若武者里見義実(よしざね)が

安房へ落ち延びる場面からはじまります。

 やがて安房国滝田の城主になった義実は、隣国の館山城主

安西景連(かげつら)の攻撃にあった。愛犬八房の働きに

よって敵将景連は討ち取ったものの、その功績で八房は伏姫

(ふせひめ)を連れて富山の洞窟にこもった。姫を取り戻しに

きた許婚の金碗大輔(かなまりだいすけ)は、鉄砲で八房を

撃ち殺すが、伏姫にも傷を負わせてしまう。八房の気を

感じて懐妊してしまっていた伏姫は、身の純潔を証するため、

大輔と父義実が見守るなか、自害してしまった。
 このとき、伏姫が幼い頃に役の行者(えんのぎょうじゃ)

から授かっていた護身の数珠から八つの玉が飛び散った。

この玉が八方へ飛んで、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の

霊玉を持つ八犬士が登場してくることになる。
 こののち、金碗大輔は出家してゝ大(ちゅだい)法師

となり、 飛び散った八つの玉の行方をもとめて旅に出る。

伏姫の子供ともいえる八犬士たちは、それぞれ思いがけない

ところで出会い、はなばなしく活躍する。
 八犬士たちとめぐり会ったゝ大法師こと金碗大輔は、

二十数年ぶりに八人を里見義実のもとへ連れ帰った。

里見家の家臣として里見家の危難を救った八犬士は、

義実の八人の孫娘をそれぞれ娶る。その後、子どもたちに

家督を譲ってからは、富山の山中へ姿をかくして仙人に

なったというお話。

 

 

 

 

     八犬士と八玉

 

 

 

犬江親兵衛仁(いぬえしんべえ まさし)
………儒教の根本理念で自他のへだてをおかず、
    一切のものに親しみなさけ深くあること。
    愛情を他におよぼすこと。
    いつくしみ。おもいやり。

 

 

犬川荘助義任(いぬかわそうすけ よしとう)
………道理。人間として行うべきすじみち。
    利害をすて、条理にしたがって人のためにつくすこと。

 

 

犬村大角礼儀(いぬむらだいかく まさのり)
………人の行うべき道。
    社会の秩序を保つための生活上の定まった形式。
    敬意をもって、きまりにしたがうこと。
    うやまっておじぎをすること。

 

 

犬坂毛野胤智(いぬさかけの たねとも)
………物事をよく理解しわきまえていること。
    かしこいこと。
    是非を判断する心の作用。ちえ。

 

 

犬山道節忠与(いぬやまどうせつ ただとも)
………真心をつくして忠実なこと。まめやか。
    主君に対して、臣下としての真心をつくすこと。

 

 

犬飼現八信道(いぬかいげんぱち のぶみち)
………欺かないこと。言をたがえぬこと。
    思い込んでうたがわないこと。
    信用すること。帰依すること。

 

 

犬塚信乃戌孝(いぬづかしの もりたか)
………父母によく仕えること。
    父母を大切にする。

 

 

犬田小文吾悌順(いぬたこぶんご やすより)
………よく兄または長者(年長者など)につかえて柔順なこと。
    弟または長幼間の情誼の厚いこと。

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02

3月

2010

既視感

既視感(きしかん、: déjà-vu: 「デジャヴュ」のように発音し、「既に見た」の意)とは、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。日本語では「デジャヴ」、「デジャブ」、「デジャヴュ」などとも呼ばれる。

 

 

 

 

 

 デジャブー

 初めての経験なのに、前にも同じことが会ったような気がする。考えれば考えるほど、確信が深まる。これをデジャブー(既視感)といいます。お話し好きの人は、生まれ変わりだとか、タイムスリップだとか、いろいろ想像力を発揮したいところでしょうが、心理学的には、記憶の錯覚です。

 以前経験したはずなのに、全く記憶に残っていないことはよくありますよ。デジャブーは、その反対です。とはいっても、デジャブーって、やっぱり不思議な感覚ですよね。

作られた記憶

 金星人にさらわれて宇宙を旅したという記憶を持っている人がいます。しかし、記憶にあるからといって事実とは限りません。記憶の中だけでストーリーが出来上がってしまうことがあります。日本の女性芸能人の中にも、自分は火星人に誘拐されたことがあると言っている人がいます。嘘でも冗談でもなく、本人は本気のようです。

アメリカのある心理学者は、記憶研究のために、「エイリアンに誘拐されたことがある人求む」と新聞広告を出した。集まった人たちは、ゴク普通の人たちだったそうです。宇宙人に誘拐されたことがあるという奇妙な記憶を除けばですが。(詳細は『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか (ハヤカワ文庫) 』:amazon)

 アメリカでは作られた記憶がもとで、裁判になった事例もあります。。ある女性が心理療法を受けているうちに、むかし父親にレイプされ、2度も人工中絶を受けていたことを「思い出し」ました。ところが、医者が診察してみると、彼女は男性経験はなく、もちろん妊娠などしたことはありませんでした。

 自分の願いや不安、イメージ、人からの誘導質問や暗示などによって、記憶が作られてしまうことがあるのです。裁判の証人の記憶にも、その危険性があります。裁判員制度がはじめる日本でも、大切なテーマでしょう。(BOOKS『嘘をつく記憶―目撃・自白・証言のメカニズム (講談社選書) 』『証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書)』。amazon)。

(シュワルツネッガーが主演した映画「トータルリコール」は、作られた記憶が大きなテーマでした。リコールは、心理学用語では、記憶の再生という意味です。)

 

 

私も宇宙人に誘拐されたことがあります。。。デジャブーですか???

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26

2月

2010

今、想うこと。。。

私の生涯で幸福な日々は6日もなかった

                    
                                 (ナポレオン・ボナパルト)

人生とは本当に美しいものだと思います

                    
                                 (ヘレン・ケラー)

 

『ワッティー・パイパー』より

きっとできる。きっとできる。きっとできる。きっとできる。


『フローベル(フランスの小説家)』より

成功は結果であって目的ではない


 
成功の目的が「幸せ」だとすれば、結果(の幸せ)だけにこだわらず、
     過程(の幸せ)も大切にしたほうがいいのでしょう。

 

『人事を尽くして天命を待つ』

 

人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しない

 

 

『リチャード・ニクソン(アメリカ第37代大統領)』より

人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ


『クラインとワーグナー(ヘッセ著)』より

運命は、どこかよそからやってくるものではなく、自分の心の中で成長するものである


『7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)』より

自分の将来を予測する最も良い方法は、自分で将来を創り出すことである


『トーマス・エジソン(アメリカの発明家)』より

 

ほとんどすべての人は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに・・・

 

「続けるか、あきらめるか」の判断は難しいことです。
「自分が好きで続ける。その結果、成功する」というのが、
 理想かもしれません。 

 

『アウレリウス』より

他人の厚顔無恥に腹が立つ時、ただちに自ら問うてみよ。「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか」「ありえない」と答えるだろう。それならばありえぬことを求めるな。

 

『ソロー(アメリカの作家)』より

すべての不幸は、未来への踏み台にすぎない


『人を動かす(デール・カーネギー)』より

他人の短所を見れば憂うつになり、他人の長所を見れば人生が明るくなる


『畸型児(小幡欣治)』より

ちっぽけな虚栄が、往々にして人間の一生を破滅させる大きな力になる事もある


『上杉鷹山(ようざん)(江戸時代・9代目米沢藩主)』より

成せばなる、成さねばならぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり

~ケネディ大統領が尊敬した政治家~

 

『イチロー選手が語る“強さの秘訣”』より
状態の悪いときに、どんな自分でいられるかが一番大事だと思う。そういう時に最初の打席で結果が悪いと『きょうはダメ』と思いやすい。そんな苦しさの中でも決して諦めない姿勢が、何かを生み出してくれる。だから逆風は嫌いではなく、ありがたい。どんなことも、逆風がなければ次のステップにいけないから

 

『チーズはどこへ消えた?(スペンサー・ジョンソン著)』より

変わろうとしないのは、変わるのが怖いからじゃないかな


『フランクリン・ベドガー』より

笑顔を忘れぬ人は常に歓迎される


『shinobu』より

悔しいと心の底から思ったなら、それは自分が本当に大事にしたい事や価値観に触れたから


『ヘレン・ケラー』より

閉まったドアを見ていると、自分のために開いているドアが別にあることに気づかない場合が多い


『人生愉しみの見つけ方(川北義則著)』より

恐怖は逃げれば二倍になるが、立ち向かえば半分になる

  
『ティートゲ(ドイツの詩人)』より

喜びを人に分かつと喜びは二倍になり、苦しみを人に分かつと苦しみは半分になる


   一つの幸せを、人といっしょに喜べば、幸福感が共鳴して大きく
    なります
  
    人と共有の目標を達成できれば、その喜びは大きいでしょう
  
    互いに幸せにし合えば、たくさんの幸せを感じられるでしょう

   苦しい時にそばにいてくれる人がいれば、つらさも少しは減る
しょう
  
    人に悩みを聞いてもらうだけでも、少しは気もちがラクになります
  
    人と問題を共有し、協力し合えば、負担は軽くなります

   幸せを分けてくれる相手がいる人は、幸せです。
   
    苦しみを共にしてくれる人がいる人は、まだ幸せです。

   幸せな時には、人に幸せを分けることを考えてみる。
   
    身近に不幸な人がいる時には、共に苦しんであげることを考えて
    みる。
   
    このようなことができるようになれたら、いいのかもしれません。

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24

2月

2010

>>> オーメン <<<

オーメン

 

人々は恐れ その獣に権威を与えた竜を拝む

 

また獣を拝みこれに敵う者なし と言う

 

なお見ると

 

獣と地の王らの軍は騎馬の軍勢に戦いを臨んだ

 

彼は奸計をめぐらしやがて自らの心におごり高ぶり

 

多くの人を滅ぼし君のきみたる者に敵対す

 

また小の者 大の者富者貧者を問わず

 

右手が額に刻印を押さしめる

 

獣の名であり数字である刻印なき者は売買もできず

 

知恵あり思慮ある者 獣の数字を解け

 

数字は人間にありその数字は666なり

 

ヨブ記:1章6節~12節



ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。
主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。
あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。
ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよ い。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。
いわば主(神)と悪魔の「賭け」により「ヨブ」は全財産、家族を奪われてしまいます。ヨブ記についてはここではこれ以上触れませんが、イエスの12弟子の中に裏切りもののユダがいたようにこのように「悪魔」は天使の中の1人と考えられていたようです。
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22

2月

2010

芸能人が・・・

萩原流行(ハギワラナガレ)

萩原 流行(はぎわら ながれ、1953年4月8日 - )は、日本の俳優、タレント。本名:萩原 光男(はぎわら みつお)。所属事務所はオーケープロダクション。最近は、役者だけでなく、バラエティー番組などに出演している。東京都世田谷区出身。

 

 

 

萩原流行さんが当社に取材にいらっしゃいました。。。

 

 

 

テレビで見るよりもダンディーで、今年57歳になるなんて見えないくらい

 

 

 

若いです。芸能人でありながら、あの物腰の低さに感動です。。。

 

 

 

萩原さんのような’’’カッコイイおっさん’’’になりたいものです。

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18

2月

2010

温めてみたくない?

今、この日本は物質的欲求が蔓延ってる。。。

 

あなたの目の前にひとつの卵。。。

 

割って中身を確かめる感覚。。。

 

でもそうじゃなく手にとって温めてごらん。。。

 

大切にずっと温めてごらん。。。

 

温めるだけで   いのち   が生まれてくる。。。

 

「イースター」とは、イエス・キリストが死後3日目によみがえった、
「復活」を祝う日のことです。
クリスマスとともに、キリスト教徒にとっては最大の祝日。
春分の後の最初の満月の次に来る、日曜日にお祝いをします。
日本語では、「復活祭」または「復活節」と呼ばれています。
イースターは、キリスト教の教会暦のなかでも最古のもので、
「イースター」(Easter:英語)は、サクソ族の春の女神、
「イーアスター(Eostre)」 にちなんで名づけられたもの。
イースターには、春の訪れを喜びあう意味もある。
日曜日は、学校も仕事もお休み。今では、当然の習慣になってますよね。
実は、日曜日がお休みになった起源も、イースターなんです。
キリスト教徒も昔は、週の最後の日、土曜日をお休みにしていましたが、
イエス・キリストがよみがえった日、日曜日を「主の日」と呼んで、
仕事を休んで礼拝のために集まるようになったんです。
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16

2月

2010

yamatodamasii

今の日本人が忘れているもの。。。

 

 

 

 

あり‐がた・い【有(り)難い】

 

 

[形][文]ありがた・し[ク]《あることがむずかしい、の意から》

人の好意などに対して、めったにないことと感謝するさま。「―・い助言」「―・く頂戴する」

都合よく事が進んでうれしく思うさま。「―・いことに雨がやんだ」「社にとっては―・くない状況だ」

またとないくらい尊い。もったいない。「―・い仏様」「―・いお言葉」

存在しがたい。珍しい。めったにない。

「―・きもの、舅にほめらるる婿」〈・七五〉


むずかしい。困難だ。

「前車の轍(てつ)を見る事は誠に―・き習ひなりけむかし」〈神皇正統記・後醍醐〉


世に生きることがむずかしい。生活しにくい。

「世の中は―・く、むつかしげなるものかな」〈・東屋〉


[派生] ありがたがる[動ラ五]ありがたげ[形動]ありがたさ[名]ありがたみ[名]

[類語]1かたじけないうれしいもったいないおそれ多い恐縮幸甚/(2うれしい好都合(おん)の字

 

 

もったい‐な・い【×勿体無い】

[形][文]もったいな・し[ク]

有用なのにそのままにしておいたり、むだにしてしまったりするのが惜しい。「捨てるのは―・い」「使わないでおくには―・い人物」

身に過ぎておそれ多い。かたじけない。「―・いおほめのお言葉」

不都合である。ふとどきである。もってのほかである。

 

「是は言語道断―・きお言葉かな」〈虎明狂・右流左止〉

 


[派生] もったいながる[動ラ五]もったいなげ[形動]もったいなさ[名]

 

ばち‐あたり【罰当(た)り】

[名・形動]罰が当たって当然なこと。また、そのさまや、そのような言動をした人。「―な(の)ことをする」「この―め」

 

 

私的には ありがたい・もったない・ばちがあたる になる。。。

 

 

 

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12

2月

2010

===双子???===

有名なダビンチの 岩窟の聖母 です。。。

 

 

この絵で指の形を見てください。受胎告知岩窟の聖母 の 幼児の手の指も。。。

 

 

 

以前調べたのですが、最後の晩餐 でもそうですが、イエスに向かって右に両

 

 

手を大きく開いたトマスがいます。トマスとはアラム語の原義で「双子」の意

 

 

味です。 誰と双子なのでしょうか?

 

 

 

あくまで個人的な仮説ですが。。。 もうお分かりですね。。。これ以上の発言は控えさせていただきます。。。  やはりダビンチはすごい人ですね~

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10

2月

2010

###カルタ###

―相場いろはかるた―

 

[い]陰陽はめぐりめぐりて循環す、陰極まりて陽となるなり

 

[ろ]論をたて相場の逆を張る人は、論に勝っても相場に敗れる

 

[は]はじめから損する覚悟で相場せよ、思惑過ぎれば機会を失う

 

[に]忍耐し時期の到来まつが仁、あせって出れば負けと知るべし

 

[ほ]誉められる仕手は全盛の極みなり、人より先に提灯を消せ

 

[へ]へ理屈をこねて自分の玉かばう、深いるばかりで損も見切れず

 

[と]獲った金儲けなりとて使うなよ、あずかったつもりで蓄えておけ

 

[ち]チャンスは一瞬のうちに駆け巡る、先をよく読みはやく手を打て

 

[り]利乗り玉まよえば半分手仕舞いて、気分しずめて守れ福の神

 

[ぬ]ぬかるなよ見切りかんじん意地はるな、損して得とることもある

 

[る]るいよりて集まる意見は時遅し、その裏道をふかく考えよ

 

[を]大相場小相場のみわけ肝心なり、損も利益もここにはじまる

 

[わ]割安と思えるときは買い時なし、割高のときに売り時なし

 

[か]買い玉の引かれたときに意地はるな、もどり少なく深手おうなり

 

[よ]寄りつきに呆けた相場は心せよ、気配かわるはおおくはこのとき

 

[た]建て玉の損益計算するべからず、利食い急げよ損は見切れ

 

[れ]連日のつづく相場にふたつあり、老いにつかず若きにつけ

 

[そ]相場ほど世に面白きものはなし、うまく当たれば億万長者

 

[つ]ついむかし底値百日というけれど、いまは機敏で反発も急

 

[ね]値に惚れて売買するのは慎めよ、大相場にはきっと損する

 

[な]なん人も見込みちがいはあるものよ、意地を張らずに出直すが勝ち

 

[ら]楽々と儲かるときは気を抜くな、千載一遇このときにあり

 

[む]無駄遣いするカネがあるなら相場せよ、長者になれる真の近道

 

[う]売り方で引かれる間はながけれど、下がる相場は速きものなり

 

[ゐ]居座りて焦ると損は増すものよ、手数だけでも落ちつけば得

 

[の]野も山もみな一面に強気なら、阿呆になりて売りの種まけ

 

[お]大相場見定めつけばついて行け、宝の山にともに登れる

 

[く]クソ度胸だすはよけれどヤケクソに、ならぬように心おくべし

 

[や]山をみて谷のふかさを予測しろ、勇気をだしてドテン売り

 

[ま]まだまだと人がいうとき利食いせよ、もうというとき心ゆるめるな

 

[け]怪我もせずおおきくなれる子供なし、失敗かさねて相場の達人

 

[ふ]不手際でカネが減ったと悔やむなよ、預けてあると思えばすむなり

 

[こ]小相場のときは難平玉建てよ、チャブつかぬための小楯になる

 

[え]栄光の道はけわしくきびしくも、人より一歩の努力かさねよ

 

[て]天井買い底値突っ込みするなかれ、もどりをまつは損のもと

 

[あ]あまるものに原価なし、相場なきものつねに知りおけ

 

[さ]三力がそろえば相場つよく張れ、資力・胆力・努力これなり

 

[き]気のむいた時は吉日躊躇するな、考えこめば出るときなし

 

[ゆ]ゆとりある資金建て玉かなめなり、フルイ落としてダマシに勝つ

 

[め]めでたくも春をむかえる心なら、引かれ玉にモチを食わすな

 

[み]見切るとき見切らず日々すごす、深入るばかりで損を見切れず

 

[し]仕掛けるに難平極めて玉建てよ、負けたときに苦労すくなし

 

[え]遠方の相場するひと利益あり、ちかく見ぬだけ迷いすくなし

 

[ひ]人の行く裏に道にあり花の山、いずれを行くも散らぬ間に行け

 

[も]モウモウと思う相場はおく深し、損玉あればはやく手仕舞え

 

[せ]成功を急げは苦労絶え間なし、小さな玉から徐々に積み上げ

 

[す]掬うても掬うても尽きぬ金儲け、おくれるとても急ぐな急くな

 

[ん]運鈍根三つのみでは財つめず、勤勉倹約の二運を忘れるな

 

[京]強弱はいうより聞けよ相場道、きいて盆ありいうて得なし
いつかきっと為になるはずです。。。
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09

2月

2010

<<<陰陽師>>>

五行思想(ごぎょうしそう)または五行説(ごぎょうせつ)

 

とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想で、

 

万物は

 

の5種類の元素からなるという説である。

 

また、5種類の元素は『互いに影響を与え合い、

 

その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する』という考えが根底に存在する。

 

 

 

陰陽五行思想

(いんようごぎょうしそう、おんみょうごぎょうしそう)とは、中国春秋

 

戦国時代ごろに発生した陰陽思想五行思想が結び付いて生まれた思想のこ

 

と。陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)、陰陽五行論(いんようごぎょう

 

ろん)ともいう。陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な

 

事象の説明がなされるようになった

 

陰陽五行説の基本は、木、火、土、金、水、(もく、か、ど、ごん、すい、

 

金は「きん」でなく「ごん」と読ませる)の五行にそれぞれ陰陽二つずつ配

 

する。甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸、は音読みでは、

 

う、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き、と読む。音読

 

みでは陰陽と五行にどう対応しているか分かりにくいが、訓読みにすると、

 

きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かの

と、みずのえ、みずのと、となり、五行が明解になる(かのえ、かのと、

 

は金)。陰陽は語尾の「え」が陽、「と」が陰である。語源は「え」は兄、

 

「と」は弟である。「えと」の呼び名はここに由来する。「えと」は本来、

 

十干ないし干支の呼称だった。きのえ、は「木の陽」という意味。

 

 

数年前、陰陽師という映画を観た影響でちょっと勉強してみましたが、なか

 

なか難しい・・・ 

 

 

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08

2月

2010

===言霊===

言葉の持つエネルギー(バイブレーション)のことを、日本では古くから、{{{言霊(ことだま)}}}と言います。


私たちの祖先は、古来から直感的に「言葉の力」を認識し、使ってきたのです。

 

神道(しんとう)では、お祓いをするときに“祝詞(のりと)”を唱えます。
言霊を使うわけです。

 

仏教でも言葉の力を使います。
功徳を得るために、“般若心経”などのお経を唱えたりします。

真言宗では“真言”や“陀羅尼(だらに)”を唱えます。
浄土宗や浄土真宗では“念仏”を唱えます。
日蓮宗では“題目”を唱えます。

 

また、イエス・キリストは言葉を使って病人を癒しました。
たとえば、「汝の信仰によって汝の信ずるごとくなれ」と宣言することで、病人の病を治しています。

新約聖書を読むと、次のように書いてあります。
「はじめに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。
ことばは神であった」(ヨハネの福音書 1章)

旧約聖書には、有名な次の一節もありますね。
「神、『光あれ』と言いたまいければ、光ありき」(創世記)

 

私たちが発する言葉は、人生を創る力を持っているのです。

 

 

常に「愛深い言葉」「感謝の言葉」「信頼の言葉」を語る
ようにすれば、その言葉の波長にふさわしい“素晴らしい出来事”
や“素敵な人”を引き寄せるのです。

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04

2月

2010

気持ち

蒼く 優しく     (コブクロ)

何度も何度も泣けます。
   
親父たちの想い・・・    


 

 あなたに届いてますか? 


心の叫びなど   誰にも聞こえない  

 

だから笑うんだよ   涙が出るんだよ   だから   輝くんだよ...
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03

2月

2010

宇宙人???   それとも   神???

約10000年も続いた縄文時代。。。

縄文人は何を感じ,何を思ってこの土偶を作ったのか・・・

いにしえの日本人。。。

神様   仏様   地蔵様   お蔭様   お天道様   お月様・・・  事あるごとに’様’を使ってきた

何事にも感謝することを忘れずに・・・

今日も一日お疲れ様。。。

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03

2月

2010

宇宙人???   それとも神???

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01

2月

2010

・・・願・・・

願・・・神仏に祈願すること。また、その祈願。

 

 

(がん)果た・す・・・神仏に祈願をし、それがかなったときお礼参りをする。

 

がんかけ【願掛け】・・・がん()

(がん)を起こ・す・・・願を懸ける」に同じ。

 

 

ねがい〔ねがひ〕【願い】・・・

願うこと。また、その事柄。「―を聞き入れる」「―が届く」

手続きを踏んで願い出ること。また、その文書。「―を出す」「退職―」

 

願と願いは違うらしい・・・

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最近youtubeにはまっている。おもしろい連載映像を発見!